「なぜ新任教師は命を絶ったのか」残業や叱責が原因? 〝学校現場の問題〟は社会の鏡である【西岡正樹】
■忘れられない教室の風景
ある年の5年生の教室で、私にとって忘れられない出来事がありました。それは算数の時間のことです。
「先生、授業中に注意をするのはもうやめてください」
突然、言葉が飛んできました。話を聞いているのか聞いていないのか分からない男の子に対し、私が言葉をかけていた時のことです。
発言したのは、しっかり者の里子(仮名)でした。
「ちゃんとやっていなければ注意するのは当然だろう」
私も勢いで言葉を投げ返しました。
「でも、注意しなければならない人はごく一部の人たちです。その人たちには個人的に話せばいいと思います。授業が中断され他の人に迷惑です」
すると、これまたしっかり者の杏子(仮名)が、里子に賛成するような声を挙げました。
「私も里子ちゃんと同じです。いつも注意される人は同じです。その人たちにもいい加減にしてほしい!」
里子の言葉には思わず言葉を投げ返しましたが、その後の私は案外冷静でした。「ここは時間を取った方が良さそうだ」と判断し、他の子どもたちに話を振りました。
「2人は自分には全く関係ないことだと思っているようだけど、他の人はどう思う?今の出来事」
教室にいるみんながどのように思い考えているか知りたい、という気持ちもあったのですが、それ以上に、他の子どもたちに話を振らなければ、教室にいるすべての子どもたちの自分事にはならないと思ったからです。
すると、これまた自分のペースで動く大志(仮名)が手を挙げました。
「俺は、注意することがあったらその場で注意した方がいいと思う。だって、その注意したことは他の人にだって当てはまる事だし。誰だっていつでもちゃんとできる訳じゃない」
この後も、自分事になった子どもたちの発言が続きます。いつの間にか、算数の時間が学級会のようになってしまったのです。
里子が自分の思いを私にぶつけてきたことをきっかけに、「注意は必要」派と「注意は必要ない」派のディベートになったのは、里子にとって予想外の事だったにちがいありません。それでも、里子は嫌な顔を見せず、自分とは違う子どもたちの考えに耳を傾けていました。
里子は自分の思いや考えを支える言葉を持っていました。それがたとえ教師であっても、自分の思い考えと違っているのであれば、きちんと伝えるという意志を持っていました。里子以外にも、この教室にいる子どもたちの多くは、語るべき思いや考え、そして言葉を持っていたのです。